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ポニョは赤ちゃんに何をした?なぜ船の夫婦のシーンがあるのか?

こんにちは!Curieです。

「崖の上のポニョ」に出てくる、小船に乗った大正風の夫婦と赤ちゃんのシーンは一体なんなのか、気になる方も多いのではないでしょうか。

ポニョと赤ちゃんのやりとりの意味も気になりますよね!

今回はこのテーマに対して、考察していきたいと思います!

※個人の考察なので、深読みでも気にしない方向けの内容です。

※以下、ネタバレ含みます。ご注意ください。

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夫婦と赤ちゃんとポニョについて

大正風の夫婦と赤ちゃんの意味は?

大正風の夫婦は近現代を象徴する「良き父親」と「良き母親」のモデルで、赤ちゃんはそのカルマを背負って生まれた子どもを指すのではないかと思います。

まず、問題のシーンの文脈をみていきましょう。

ポニョが人間に扮して宗介のもとにやってきた翌日、道が海に沈没してしまい、介護施設”ひまわり”の様子を見に行ったっきりのリサを迎えに、宗介とポニョはポンポン船で家を出ます。

デボン紀にいた超古代魚が海に沈んだ町を自由に泳ぎ回っていて、まるで人間が歩んできた近現代の文明の発展の歴史を丸ごと飲み込んでしまったかのようです。

すると突然、「おーい」と宗介たちを呼ぶ声とともに、周りに何もない中にポツリと浮かぶ小船が登場します。

大正風の夫婦の登場です。

このシーンが非常に不自然というか、特徴的ですよね。

超古代魚がいる世界に、近現代の人間の夫婦がポツンと浮かんでいるのは、まるで人間が歴史の中で失ってしまった自然との繋がりを浮き彫りにしているかのようです。

言葉を話せず、まだスープも飲むことができない赤ちゃんは、人間社会に染まっていない、より自然に近い純粋な存在です。

しかし、その赤ちゃんは不機嫌な顔をしています。

どうやら両親は、そのことに気づいていないようです。

聡明な宗介も特に気にしていませんが、ポニョだけが赤ちゃんの存在に気づき、まっすぐに見つめます。

じーっと見つめあうポニョと赤ちゃん。

このシーンが大きく作中に描かれるということの意味を考えると、赤ちゃんのムスッとした表情は単に眠かったことを指すのではなさそうです。

ポニョが赤ちゃんの気持ちを読み取るということは、人間社会の役割の中では汲み取れない何かを人間自身が抱えているということを、赤ちゃんが象徴しているという見方ができます。

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ポニョが赤ちゃんにしたこと

ボートの夫婦との別れ際、泣きだした赤ちゃんにポニョがピョンピョン飛んで来て、赤ちゃんの顔にグリグリ顔を寄せてパッと離した途端、赤ちゃんが泣き止んで笑顔になるシーンがあります。

一体ポニョは何をしたのでしょうか?

私の見解ですが、魔法を使って赤ちゃんの言葉にできないストレス、心の悩みを解放したのではないかと思います。

人間の無意識の領域を象徴する海からやってきたポニョは、自由に話すことも動くこともできない赤ちゃんの不満に気づき、解消しようとします。

食べ物を与えますが、赤ちゃんはまだ母乳しか飲めません。

単にお腹が空いているというだけの問題だったのなら、ポニョが母親に母乳になる食べ物を与えた時点で、赤ちゃんの不機嫌そうな演出の意図は事足りるはずです。

しかし、不機嫌は終わらずついには泣き出してしまいます。

ポニョが魔法を使う際に半魚人の姿に戻りますが、まさにポニョは魔法を使って赤ちゃんに挑みます。

感情は表現しない限り伝わりませんが、身体の器官で感情を表すのは唯一、顔。表情だけですよね。

ポニョは直接赤ちゃんの顔に自分の顔を近づけ、魔法をかけたことで不機嫌の元を解消したのではないでしょうか。

ポニョが人間社会で生きていくために、赤ちゃんを使って愛情や配慮といったコミュニケーションツールを身につけた演出だったとか、

宗介と生きていくために人間の女の子としての母性本能に目覚めたとか、

いろんな考察がありますので、この限りではありません。

なぜあのシーンがあるの?

考察①:宮崎駿が気がかりなことを作品に込めた

「子供に絶望を語るな。希望を語れ」

https://eiga.com/movie/53305/special/

宮崎駿監督は常々、時代を生きる子どもたちが元気なのかどうか、気にかけているようです。

今回のポニョと赤ちゃんの関係も、まさに子どもが元気であるようにという願いを込めて、子どものために描いたのではないでしょうか。

「崖の上のポニョ」のキャッチコピーは、『生まれてきてよかった』。

ファンタジーや冒険活劇などを観たければ過去の作品を観ればいいという話もどこかでしていた私の記憶から、

宮崎さんはアニメというエンターテイメント分野を取り扱いながらも、その時その時の時代から読み取ったものを世に出す仕事をしているように思います。

物質的な発展と引き換えに地球環境の破壊など、人間の文明の歴史の中でとても大きな責任を負ってしまった子どもたちが、これからの時代を生きていくために、勇気づけるような作品をつくる思いがあったと考えると、赤ちゃんが不機嫌から笑顔になるシーンは重要ですね。

考察②:家族の中だけでは解決できない

大正風の夫婦は、赤ちゃんに母乳をあげてお腹を満たしたり、あやしたりすることはできても、根本的な不機嫌について、泣き止ませることはできませんでした。

赤ちゃんが何を求めているのか、そばにいる両親でも汲み取ることはできないことがわかります。

しかしお魚だったポニョは、自然に近い赤ちゃんの機嫌を、魔法で一瞬のうちに変えることができました。

あのシーンがあるのは、家族の中にいては解決できない根深い問題でも、一瞬にして解決することができる可能性を伝えているのだと思います。

ちなみに、ポニョが人間の世界にやって来たことで、月が接近しすぎる描写があります。

月は太陽の光の反射によって輝きますが、夜になると急に出てくるわけではないですよね。

目立たなくても月はいつも存在しています。

このことから、月は無意識を象徴しているとよく言われます。

作中の接近しすぎた月のシーンは、「私はいるよ〜」とでもこちらに伝えんばかりの主張ぶりです。

世の中には目に見えるものと目に見えないもの、表にあらわれたものと隠されたもの、陸と海。全ての状況は2つの側面を持ちます。

目には見えなくても、どんな状況も一瞬にして大逆転の見方ができる可能性を常に秘めています。

それは、家族とは全く違うものの見方かもしれませんし、先祖代々の思考習慣を超えたものかもしれません。

赤ちゃんを不機嫌から笑顔にできたように、海からやって来たポニョが、大丈夫!と伝えにやって来た・・・流石にこれは深読みしすぎですね。(笑)

まとめ

いかがでしたか?

本記事では、お魚だったポニョが人間のもとにやって来たことや、問題のシーンの背景が無意識を象徴する海水まみれであることから、人間社会の役割ではないがしろにされがちな、個人の無意識の領域をピックアップし、そこにおけるポニョと赤ちゃんの繋がりを考えてみました。

「崖の上のポニョ」は子ども向けのアニメでありながら、こんなに深い見方もできてしまう大変興味深い作品です。

皆さんも是非、様々な視点でポニョをお楽しみください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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Curie
大学を卒業後旅行会社に就職するも、不自由な生活に疑問を感じ退社。 自由に国内外を飛びまわれる未来を夢見て、ノートPC1台で生活できる基盤に挑戦中。 食べることと旅がすき。