こんにちは!Curieです。
ラグビーW杯日本大会の南アフリカ代表、シヤ・コリシ選手は南アフリカ代表史上初の黒人キャプテンであることはご存知ですか?
彼は2017年に選手投票による南アフリカ最優秀選手にも選ばれていて、
実力をもった選手としても南アフリカの歴史としても、国内外で今非常に注目されている選手です。
今回は、そんなコリシ選手のこれまでの生い立ちやエピソードに就いてまとめてみました。
Contents
コリシ選手の生い立ち
貧しい家庭環境で生まれ育つ
コリシ選手の出身地は、南アフリカのポート・エリザベス郊外の非白人居住地域のズヴィデ(Zwide)というところ。
そこは悪名高いアパルトヘイト(人種隔離)政策で仕切られた旧黒人居留区で、犯罪や麻薬が蔓延るとても貧しい地区なのだそうです。
両親はまだ学校の最終学年の歳だった16歳の時に、コリシ選手は生まれました。
そこで過ごした幼少期は、やはり大変だったそうです。
毎日食事をとることができず空腹のままベッドに行ったり、学校の授業料も払えないことが多々あったりしたんだとか。
そして母親が別の男性との間に2人の子どもを出産した後、亡くなりました。
コリシ選手がまだ15歳の時だったそうです。
残されたコリシ選手や子ども達は、祖母が育てることになりました(現在は他界されています)。
12歳でスカウトされる
コリシ選手が12歳の時、モーセル・ベイで開催されたラグビーのユース・トーナメントでスカウトの目に留まり、奨学金を得てポート・エリザベスにある名門公立男子校・グレイ中学校に入学しました。
ラグビーショーツすら買えず、シルクのボクサーパンツでプレーしていた彼も、必要なものは全て奨学金でまかなわれることになりました。
いや、ほんと良かった・・・(`;ω;´)
幼少期の苦しかった生活は、彼が移民になるのに十分な理由になったのですが、彼はそうではなく、ラグビーで前に進む決意をしたんですね。
彼は自分を育ててくれた祖母のことを大変尊敬していて、ズウィデの町のことも大切な故郷と言っているので、よくやさぐれなかったなぁ・・・と感動を覚えます。
そんなコリシ選手は、卒業後も引き続き名門のグレイ高校に進学します。
英語も話せなかった
入学当時のコリシ選手はコサ語しか話せず、英語でのコミュニケーションはほとんどできなかったそうです。
コサ語とは南アフリカの数ある公用語の1つで、ズールー語に続いて話者の多い土着言語です。
彼の学校生活を支えてくれたのは、中学時代からの白人の友人で、英語の話し方から宿題の手伝いまでしてくれたそうです。
彼はインタビューで、「あなたのスーパーヒーローは誰か?」と尋ねられると、この友人の名前をあげています。
周りのサポートがあって今があるという感謝を忘れない姿勢は、本当に謙虚で素晴らしいですね・・・!
黒人初の代表キャプテンに
ユース時代から活躍していた彼は2010年にはU-20南アフリカ代表、2013年からスプリングボクスに選出されました。
ちなみに、W杯2015で日本が南アフリカに歴史的な勝利をあげましたが、彼はその試合に途中出場し、悔しさを経験している選手の一人です。
代表になってから最初の方はベンチスタートが多かったのですが、2016年からはずっと先発出場しています。
2017年2月には所属チーム・ストーマーズのキャプテンになり、2018年3月にはエラスムスHCにより南アフリカ代表史上初の黒人キャプテンになりました。
このことについて彼は、「自分は典型的な南アフリカ人であると同時に、黒人の子どもたちだけでなくあらゆる人種や階層の人々を勇気づける存在として、想像以上に大きな義務がある」と話しています。
まさに南アフリカの歴史から生まれた希望の象徴ですよね!
そんな彼は国内のみならず、私も含め国外の多くの人をもインスパイアする存在だと思います!
コリシ選手のエピソード
南アフリカ大統領から直電
W杯日本大会準決勝戦は、南アフリカが直近で4連敗中のウェールズとの対戦でした。
試合前日の日の朝、コリシ選手の携帯電話が突然鳴ったそうです。
電話に出ると、なんと相手はラマポーザ大統領!
こりゃびっくりですよね!
さすがラグビー文化の熱い南アフリカ・・・!
地元紙が伝えるところによると、電話はテレビ電話だったそうで、
「君たちには5700万の南アフリカ国民がついている」と激励した他、
「君と一緒に優勝トロフィーを掲げるぞ。決勝のチケットを確保しておいてくれよ」と”特別オファー”があったそうです。
これはテンション上がりますよね〜!
試合は見事19-16でウェールズを制し、大統領への決勝戦のチケットを確保しました。
地震を仲間のいびきと勘違い
10月2日未明、滞在先の静岡県御前崎市のホテルでマグニチュード4.1の地震が発生しました。
コリシ選手にとって、これが生まれて初めての地震の経験だったそうです。
揺れを感じて目を覚ました彼は、最初はなんだかよくわからなかったみたいで、チェスリン・コルビ選手がいびきをかいて寝ていたので、彼のせいだと思ったとのこと。
(笑)
大地が揺れるほどのいびきって、それもすごいですけどね・・・。
ニュースでどうやらこれが勘違いだったことがわかり、初めての経験に興奮したと同時に恐怖も感じたそうです。
まぁ、年間2000回も地震が発生する国はそうそうないですし、これも日本ならではのことですよね。
W杯日本大会が父親の初の海外旅行に
W杯決勝まで勝ち進んだ彼は、父親に観戦してもらおうと旅の手配をしたそうです。
南アフリカ代表チームは千葉県浦安市がキャンプ地で、コリシ選手の父親は日本に到着すると真っ先にディズニーランドに向かったそうですよ。
貧しい地区に育った彼ですが、父親もやはり国外に出たことはなく、今回が生まれて初めての海外旅行だったそうです。
そしてディズニーを満喫し、さらにはチーム優勝を果たした息子の晴れ舞台も見ることができて、さぞかし一生の思い出となる素晴らしい初の旅行になったに違いありません。
ダメだ、こういうのは感動して泣けてしまう・・・(´;ω;`)
まとめ
いかがでしたか?
今回は南アフリカ代表のシヤ・コリシ選手の生い立ちやエピソードをご紹介しました。
人種差別の歴史を背負いながらもサポートしてくれた人たちへの感謝を忘れない人間性が、まさに南アフリカ代表のキャプテンを象徴していますよね。
苦労を経験しても誰をも恨むことなく、本当に頭が下がる思いです。
彼の誇りをかけたプレー、今後も応援していきます!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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